90年代バックパッカーが使っていたモノ、今どうなった? ― T/C、エアメール、ネットカフェ…あの旅道具の現在地

1990年代。スマホはおろか、携帯電話すらまだ「持ってる人がすごい」時代だった。

海外を旅するバックパッカーの装備は、今とはまるで違う。腰にはマネーベルト、ポケットには国際テレホンカード、バックパックの底にはトラベラーズチェックの控え。宿に着いたらまず「ネットカフェどこ?」と聞き、週に一度、青と赤の縁取りがついたエアメール封筒を買って実家に手紙を書いた。

あの頃あたりまえだった旅の道具たち。2026年の今、それぞれどうなっているのか。「消えた」「変わった」「実はまだある」の3つに分けて振り返ってみたい。

知っている人には「あったあった」を。知らない人には「スマホなしでどうやって旅してたの?」という驚きを。そんなつもりで書いた。

消えたもの

トラベラーズチェック(T/C)

「まずT/Cを買いなさい」。90年代に海外旅行を計画すると、旅行代理店でも銀行でも親にもこう言われた。

トラベラーズチェック―旅行者用小切手。$20、$50、$100といった額面の紙片に、購入時と使用時の2回サインをする。2つの署名が一致して初めて使える仕組みで、盗まれても再発行してもらえるという安全性が売りだった。

90年代のバックパッカーにとって、T/Cは「お金そのもの」だった。クレジットカードが使えない安宿、屋台、ローカルバス。まずT/Cを現地の銀行や両替商に持ち込んで現地通貨に替え、それで旅をした。購入時のレートがTTS(電信売相場)で、現金の両替よりわずかに有利だったのもポイントだった。

しかし手間がかかる。両替商の窓口でサインして、パスポートを見せて、控えにスタンプを押してもらって、やっと現地通貨が手に入る。クレジットカードの普及と、海外ATMでキャッシングできる時代の到来で、T/Cの存在意義は急速に薄れていった。

2014年3月31日、最後まで販売していたアメリカン・エキスプレスが日本国内での新規発行を終了。これをもって、日本でトラベラーズチェックを買うことは完全にできなくなった。

面白いのは、T/Cには有効期限がないということだ。だから90年代に買って使い切れなかったT/Cが、今もどこかの引き出しに眠っているかもしれない。三菱UFJ銀行のワールドカレンシーショップや一部の金融機関では、自行発行分に限って今でも換金を受け付けている。ただし対応窓口は年々減っており、みずほ銀行は店頭買取を終了して郵送買取に切り替えた。

もし家の中からT/Cが出てきたら、額面を確認して早めに換金することをすすめる。いつ買取業務そのものが終了してもおかしくない。

90年代、カオサンロードの両替商でT/Cをドルからバーツに替えるとき、レート表をにらんで「今日は◯◯の店が0.2バーツ高い」などとやっていた。あの光景は、もう二度と見ることはないだろう。

今の代替手段は、クレジットカードとRevolutやWiseのような多通貨デビットカード。T/Cの安全性は、スマホの電子ウォレットとカードの紛失時即時停止機能が完全に引き継いだ。

コレクトコール/国際テレホンカード

「もしもし、お母さん? うん、元気。……3分しか話せないから」。

90年代バックパッカーの日本への連絡手段は、基本的に3つだった。エアメール(後述)、国際テレホンカード、そしてコレクトコール。

コレクトコールは、通話料を受ける側に払ってもらうシステムだ。海外の公衆電話からKDDIジャパンダイレクトのアクセス番号にかけると、日本語のオペレーターにつながる。「日本の◯◯番に、コレクトコールでお願いします」。オペレーターが相手に電話して「海外からコレクトコールですが、お受けになりますか?」と確認。OKが出たら、やっと話せる。

ただし料金はバカ高い。10分話すと4,000円近くかかることもあった。親に電話代の請求書を見て怒られた、という90年代バックパッカーは少なくないはずだ。

そのコレクトコール、国内電話のサービス(106番・108番)は2015年7月に終了。海外オペレータ経由の日本宛コレクトコールも2017年1月末に終了した。KDDIジャパンダイレクト経由のコレクトコールは一応まだ存在するが、利用者は極めて限定的だ。

もうひとつの生命線だった国際テレホンカード。KDDスーパーワールドカードを財布に入れていた人も多いだろう。カオサンの旅行代理店やゲストハウスの受付で売っていた現地版の国際コーリングカードを使った人もいるはず。公衆電話のボックスに入って、カードの裏面に書かれた長い番号を必死に打ち込んで、やっとつながる。雑音まみれの回線で、声を張り上げて近況を伝える。

今の感覚からすると信じられないかもしれないが、90年代の旅人にとって「日本にいる家族の声を聞く」ことは、金と手間をかけてようやく実現する一大イベントだった。

2026年の今、LINEかWhatsAppを開けばビデオ通話が無料でできる。Wi-Fiさえあれば、地球の裏側にいても顔を見ながら話せる。旅先で孤独を感じる暇もない。便利になった、とは思う。ただ、あの「3分しかない」という切迫感が、言葉を選ばせ、声に感情を込めさせていた気もする。

エアメール

青と赤の縁取りが交互に走る、あの封筒。「PAR AVION」「AIR MAIL」の文字。90年代の旅人にとって、エアメールは日本とつながるための、もっとも日常的で、もっとも時間のかかる手段だった。

ゲストハウスのロビーで便箋を広げ、今いる街の名前と日付を書く。「バンコクは暑いです」「カンボジアに来ました。アンコールワットはすごかった」。たいして中身のない文面だが、これが届くのは1週間後。東南アジアからなら5〜10日、ヨーロッパだと1週間以上かかる。

書き終わったら郵便局を探す。窓口で重さを量ってもらい、切手を貼って投函。定形サイズの手紙なら、東南アジアから日本まで100〜150円程度と、驚くほど安かった。

エアメールの何が良かったかというと、物理的に「旅の証拠」が残ることだ。消印には都市名と日付が入り、切手はその国のものが貼られる。受け取った家族は、封筒を見ただけで「今どこにいるか」がわかった。うちの母親も、僕がアジアを回っていた頃の手紙を束にして取ってあった。

エアメール封筒自体は今も文房具店で手に入るし、国際郵便の仕組みも健在だ。日本から海外へのはがきは航空便で100円、手紙(25gまで)も第1地帯なら110円で送れる。制度としては「消えていない」。

ただ、かつてバックパッカーが使っていた「航空書簡(エログラム)」は消えた。折りたたむと封筒になる便箋兼用の用紙で、世界中どこへでも90円均一で送れた代物だ。2023年9月末、日本郵便が「販売枚数が低調なため」として取り扱いを終了した。国際郵便はがき(70円)も同時に販売終了。1949年から74年間続いたサービスだった。

航空書簡は日本だけの制度ではない。万国郵便連合(UPU)の条約で規格が定められた世界共通のフォーマットで、加盟国の郵便局がそれぞれの料額印面つきで発行していた。正式名称は「Aérogramme」。つまり、日本から海外へは日本郵便の90円航空書簡、海外から日本へはその国の郵便局が発行したエログラム。双方向で使える、地味だけど確実な国際通信手段だった。

90年代前半、僕はニュージーランドでワーキングホリデーをしていた。あの頃、日本の家族から届く手紙はいつもNZ Postの航空書簡だった。薄い青い紙を開くと、母親の手書きの文字がびっしり。三つ折りにすると封筒になるから、余白が少なくて、小さな字でぎゅうぎゅうに近況が書いてある。メールもLINEもない時代、あの薄い一枚の紙が家族との唯一の接点だった。

自分からも航空書簡で返事を書いた。NZの郵便局で買って、宛名面に実家の住所をローマ字で書いて、裏面に「元気です。羊が多いです」みたいなことを書いて投函する。届くまで1週間以上。返事が来るのはさらにその先。一往復に2〜3週間かかるやりとりが、それでも確かに「つながっている」感覚をくれた。

エアメールは制度としては生きている。だが、旅先から家族に手紙を書くバックパッカーは、もうほとんどいないだろう。代わりにあるのはLINEのグループトーク。写真も動画もリアルタイムで送れる。便利だけれど、1週間後に届く手紙を待つあのワクワク感は、テクノロジーでは再現できない。

変わったもの

フィルム(スライド/ネガ)

90年代、旅先の写真は文字通り「限りある資源」だった。

36枚撮りのフィルム1本で撮れるのは36カットだけ。ISO 100のリバーサルフィルム(スライドフィルム)を装填して、1枚1枚、露出を考えて、構図を決めて、シャッターを切る。失敗は取り消せない。フィルム代と現像代を合わせると、36枚で2,000〜3,000円。1カットあたり60〜80円。気軽にパシャパシャ撮れるものではなかった。

だからこそ、1枚にかける意識が違った。「ここぞ」という瞬間に集中してシャッターを押す。帰国後、ライトボックスの上でスライドをルーペで覗いたときの「やった」という感覚。あるいは現像から戻ってきたネガをプリントに出して、数日待って受け取りに行く。あの「待つ時間」込みの写真体験は、今のデジタルにはない。

2026年現在、フィルムは「消えた」のではなく「変わった」。富士フイルムやKodakがフィルムの生産を続けているし、若い世代の間でフィルムカメラが一種のブームになっている。ただし価格は90年代とは比較にならない。36枚撮りのフジカラー100が1本2,000円以上、現像+データ化で1,000〜2,000円。1カットあたり100円を超える「高級品」だ。

90年代の旅カメラはNikon FM2やCanon EOS 5といった一眼レフ、あるいはコンタックスT2やリコーGR1のようなコンパクトカメラだった。今はSONY α7やFUJIFILM X-T5のようなミラーレスが主流で、メモリーカード1枚に何千枚でも撮れる。写真を撮るハードルは限りなくゼロに近づいた。

変わらないのは、写真が「その場にいた証拠」であるということ。ただ、36枚の制約が生んでいた「選ぶ眼」は、意識しなければ簡単に失われる。1日に500枚撮って、1枚も見返さない―そんな旅になっていないか、ときどき自分に問いかけている。

地球の歩き方の巻末地図

「歩き方のP.○○を開いて」。90年代のバックパッカー同士の会話で、もっとも使われたフレーズのひとつかもしれない。

地球の歩き方の巻末についている折り込み地図。あの薄い紙の地図が、旅の全行程を支えるナビゲーションだった。バスターミナルの位置、安宿街の範囲、主要な寺院や観光スポットの場所関係。すべてがあの地図の上にあった。

地図の精度は「だいたい合っている」レベル。「地球の迷い方」と揶揄されることもあったが、スマホのGPSなど存在しない時代、あれが唯一の手がかりだった。道に迷ったらページを破って持ち歩き、現地の人に見せて「ここに行きたい」と指差す。紙の地図の角がボロボロになったころ、旅の終盤にさしかかっている。

2026年の今、地球の歩き方は健在だ。むしろコロナ禍で一時は売上が9割減まで落ち込みながら、学研グループへの事業譲渡を経て復活し、国内版やムーとのコラボ本がヒットするなど、ブランドとしてはむしろ元気がある。2025年9月には「歴史時代」シリーズの刊行も始まった。

ただし、巻末地図の役割は決定的に変わった。Googleマップがあれば、自分の現在地がリアルタイムで表示される。最寄りの安宿も、ATMも、レストランも、徒歩何分かまで教えてくれる。地球の歩き方の地図を頼りに路地裏をさまよう必要はなくなった。

紙の地図が与えてくれたのは、「俯瞰する力」だったと思う。街全体を見渡して、自分がどこにいるかを把握し、次にどこへ向かうかを自分の頭で決める。GPSのルート案内は正確だが、「考える余白」を奪う。それが良いか悪いかは、旅人それぞれの価値観次第だ。

実はまだあるもの

ネットカフェ

90年代後半、バックパッカーの旅にインターネットが入り込んできた。

カオサンロードやブイビエン通り、ジャカルタのジャランジャクサ。バックパッカー街の一角に、「INTERNET」と手書きの看板を掲げた小さな店が現れた。デスクトップPCが3〜5台並んでいて、1時間30〜60バーツ(約100〜200円)。画面はWindows 98、ブラウザはInternet Explorer。アナログモデムの回線は遅くて、Hotmailの受信トレイを開くのに30秒かかった。

それでも、あの瞬間は革命だった。

90年代半ばまでは、旅先からの連絡手段はエアメールかコレクトコールしかなかった。気になる相手には、観光地の売店で選んだポストカードに一言添えて送るのが精一杯だった。それが、ネットカフェに座ればメールが読める。返事も書ける。日本の友人から「元気?」と一行メールが来ていて、「カンボジアにいる。アンコールワット行った」と返す。世界とつながっている、という感覚が初めて旅の中に生まれた瞬間だった。

やがてYahoo!メッセンジャーやICQのようなチャットツールが登場すると、ネットカフェの意味がまた変わった。夕食を終えた夜、時差を計算しながらネットカフェに向かう。ログインして、日本にいる誰かの名前が「オンライン」になっているのを見つけたときの、あのちょっとしたドキドキ。旅先で知り合った人と「次どこの街にいる?」とリアルタイムでやりとりする。1時間30バーツのネットカフェが、旅の社交場になっていた。

そのネットカフェ、東南アジアでは2010年代にスマートフォンの爆発的普及とともに急速に姿を消した。4G・5Gネットワークが整備され、どこのカフェでもFree Wi-Fiが飛ぶ時代。わざわざネットカフェに行く理由がなくなった。

ところが、「ネットカフェ」という業態は完全には消えていない。

ベトナムや韓国では、ネットカフェはゲームカフェに姿を変えて生き残っている。高性能PCを並べてオンラインゲームやeスポーツのプレイ環境を提供する形態で、旅行者向けのメール確認用施設とはまったく別物になった。

日本でも、ネットカフェは独自の進化を遂げた。快活CLUBに代表される「複合カフェ」は、漫画・シャワー・仮眠・コワーキングスペースを兼ねた空間として741店舗(2025年3月時点)を展開している。スマホの普及で市場規模はピーク時の半分以下に縮んだが、ホテル代わりの宿泊需要やテレワーク需要を取り込んで、しぶとく生き残っている。

形は変わっても、「旅の途中でインターネットを使える場所」という原初的なニーズは、結局のところ「自分のスマホ+eSIM」で完全にカバーされた。カオサンのネットカフェであの遅いPCの前に座っていた頃の自分に、「30年後、ポケットの中の板でなんでもできるようになるよ」と教えてあげたい。信じないだろうけど。


旅の道具は変わった。旅は変わったのか?

余談だけれど、タイのカシコン銀行(KBank)のCMに面白いものがある。子どもの頃、引っ越しをきっかけに気になっていた女の子と文通を始め、やがて電話になり、チャットになり、途中で別れも経験するけれど、最後はFacebookで再会する―コミュニケーション手段の変遷を、ひとつの恋愛ストーリーとして描いた映像だ。

これを見て思った。手紙からチャットへ、という変化は日本だけの話じゃない。どこの国の人も、同じ道を歩いてきたのだ。エアメールを書くときのあの気持ち、ネットカフェで相手のオンライン表示を待つあのソワソワ感。言語も文化も違う人たちが、同じ時代に、同じツールで、同じように誰かとつながろうとしていた。

ここまで6つのアイテムを振り返ってきた。T/C、コレクトコール、エアメール、フィルム、巻末地図、ネットカフェ。どれも90年代の旅には欠かせなかったものばかりだ。

2026年の旅人が持っているのは、スマホ1台とクレジットカードだけ。それで両替も連絡も地図も写真も全部まかなえる。30年前に6つの道具が担っていた役割が、すべて1台の端末に集約された。

便利になった。圧倒的に便利になった。

でも、ひとつだけ変わらないことがある。旅先で感じる「ここじゃない場所に来た」という感覚。知らない街の匂い、聞いたことのない言語の響き、初めて食べる料理の味。そういうものは、道具が何であれ変わらない。

T/Cの控えに書かれた両替日のメモ。エアメールの消印に残ったポストオフィスの名前。ネットカフェのレシートに印字された利用時間。ライトボックスの上で光るスライドフィルム。

あの頃の旅道具には、旅の記録が物理的に刻まれていた。今はクラウド上のデータとして保存されるそれらは、便利だけれど、引き出しの奥から出てきたときの「あっ」という感覚は、たぶん生まれない。

だから僕は、たまに紙の地図を広げてみたくなる。


カシコン銀行のCMはこちら


この記事は「熱帯ドリーム」の中の人が、90年代から30年にわたる東南アジア旅の記憶をもとに書いたものです。

YouTubeチャンネル「熱帯ドリーム」では、90年代のガイドブック片手に当時の旅路を4Kカメラで再訪するシリーズ「Re:199x」を準備中です。す。

この記事を書いた人

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