
はじめてライス&カリーを食べたとき、「インドカレーとは何かが違う」と思った。
ただし食べた場所は、スリランカではない。日本のスリランカ料理店だ。
実はスリランカには、トランジットで一泊したことがある。コロンボのバンダラナイケ国際空港で乗り継ぎ時間が長く、空港近くのホテルに送られて一晩を過ごした。だが翌朝の便に間に合わせるため、街には出ていない。ホテルの食堂で出てきたものを食べただけで、本物のスリランカカレーには、結局たどり着けなかった。
すぐそこに島があったのに、肝心の一皿には触れられなかった。その悔しさをずっと抱えていた。
だから日本のスリランカ料理店で、ようやく出会ったのだ—ご飯を中心に、色も質感も異なる複数のカレーが取り囲むように並んだ一皿に。一口食べて、辛さに驚いた。ただ辛いだけではない。魚の香りが鼻を抜け、ナッツの重みがあり、スパイスが何層にも重なって遅れて来る。
「これはインドとは別の体系だ」と直感した。
その直感は正しかった。スリランカカレーは、インド料理の亜種でも南インド料理の延長でもない。島という地形、インド洋の交易史、二つの民族文化—これらが積み重なって生まれた、固有の体系である。
島という地政学—25kmの海峡がリセットするもの
スリランカとインド最南端のタミルナードゥ州を隔てるポーク海峡は、最も狭い部分で約25kmしかない。肉眼でインド大陸が見えると言われる距離だ。
しかしこの25kmが、食文化を根本から変えた。
陸続きの地形では、スパイスも調理技術も人も、グラデーション状に移動する。パキスタンからインドへ、インドからミャンマーへと、国境を越えながら味は少しずつ変化する。しかし島は違う。海峡を渡った瞬間に文脈がリセットされ、独自進化が始まる。
スリランカは熱帯の島嶼国家だ。年間平均気温は27度前後、湿度が高く、食品が腐敗しやすい。これはスパイス使用量を自然と引き上げる条件だ。抗菌・防腐・消化促進—スパイスが「生存の道具」として機能する環境が、ここにはある。
さらに島という閉じた地形は、外来の食材や技術を「混ぜる」のではなく「変容させる」。インドから渡ってきたスパイス文化は、スリランカという島の上で、インド洋の海産物と結びつき、独自の出汁文化を生んだ。その核が、モルディブフィッシュである。
モルディブフィッシュ—インド洋が生んだ出汁の核
スリランカから南西に約750km。インド洋に点在するサンゴ礁の島国、モルディブ。リゾートとして知られるこの国が、スリランカカレーの味の根幹を支えている。
モルディブフィッシュとは、マグロ(あるいはカツオ)を茹でて乾燥・燻煙させた保存食品だ。シンハラ語では「ウンバラカダ」と呼ばれる。その外観は日本の鰹節とほぼ同じで、見た目だけでは区別がつかないほどだ。
違いは製法にある。日本の鰹節が発酵工程(カビ付け)を経て繊細な旨みを作るのに対し、モルディブフィッシュはカビ付けをしない。そのぶん、より直接的で力強い魚の風味が残る。
旨みの構造は興味深い。モルディブフィッシュが持つイノシン酸は、野菜や豆に含まれるグルタミン酸と組み合わさると旨みが相乗的に増幅する。スリランカのカレーに野菜や豆のカレーが多いのは偶然ではなく、この旨みの掛け算を最大化するための必然だったとも言える。
なぜこの食材がスリランカカレーの核になったのか。それはモルディブという国の地政学的な事情による。
モルディブはサンゴ礁の低平な島々からなり、農業に適した土地がほとんどない。そこで古来より、豊富な海産物を加工・乾燥させて周辺諸国に輸出することが、国家の主要な収入源だった。スリランカはその最大の輸出先であり、モルディブフィッシュはかつてスリランカへの主要輸出品の一つだった。
14世紀、アラビアの旅行家イブン・バットゥータが『三大陸周遊記』にモルディブでの魚加工について記録を残している。日本の鰹節の最古の記録が16世紀初頭であることを考えると、この乾燥魚文化はスリランカを経由して、あるいは琉球王国の中継貿易を通じて、日本の鰹節文化に影響を与えた可能性すら指摘されている。確証はないが、インド洋と日本列島が同じ「乾燥魚の旨み」を独立に、あるいは連続して発明したという事実は、食文化の地政学として記憶しておいてよい。
現代のスリランカでは、モルディブフィッシュは高価な食材だ。2022年の経済危機で価格が倍増したという記録もある。スリランカの家庭では豆カレーなどにほんの少量だけ加えて旨みを引き出す—それほど貴重なものとして扱われている。
シンハラとタミルの縦断線—同じ島に二つの顔
スリランカには大きく二つの民族文化が共存している。多数派のシンハラ人(仏教徒)と、北部・東部に多いタミル人(ヒンドゥー教徒)だ。この二つの文化は、料理においても異なる顔を持つ。
シンハラ系のカレーは、ダーク・ロースト(暗い焙煎)が特徴だ。スパイスを深く焙煎することで、色が黒ずんだ複雑な風味が生まれる。椰子の花から採るトディ(ヤシ酒)を発酵させた酢や、ゴラカ(ガルシニア)という酸味の強い乾燥果実も多用される。魚カレーに酸味を加えるゴラカの使い方は、スリランカ料理を他の地域のカレーと明確に区別するアクセントのひとつだ。
一方、北部ジャフナのタミル系カレーは、南インドのタミルナードゥ州の料理と文化的に連続している。こちらはより明るい色のカレーが多く、フレッシュなスパイスとココナッツミルクの使い方も南インドに近い。同じスリランカという島の中に、南北でまったく異なるカレー観が並存している。
ジャフナは海に囲まれた半島部で、魚介類が豊富に獲れる。海産物と辛いスパイスの組み合わせは、シンハラ系とは異なる辛さの方向性を持ち—より鋭く、より乾いた辛さとでも言うべきものだ。象徴的な料理がジャフナ・クラブカリー(カニカレー)で、これは南インドのタミル料理にはほとんど見られない、ジャフナ固有のスペシャリテとして知られている。ジャフナ独自のカレーパウダー(ターメリックを抑え、ロースト唐辛子とフェンネルを多用する配合)と、半島部で獲れる肉厚のマッドクラブが結びついた一皿だ。
もう一つ忘れてはならないのが、内戦の影響だ。1983年から2009年まで続いた内戦のあいだ、ジャフナを含む北部は長期にわたって他地域から物理的に隔絶されていた。物資の流通も人の移動も制限された結果、ジャフナの料理は外部からの影響を受けにくい環境で独自の純度を保った。皮肉なことに、戦争という分断が、ジャフナ料理の「ジャフナらしさ」を結晶化させた側面がある。
南インドとの連続と断絶—何が「独立」を作るのか
南インドとスリランカの間には、明確な連続性がある。
ストリングホッパー(スリランカではイディアッパムと呼ばれることも多い)は、米粉を細く押し出して蒸したもので、南インドとスリランカに共通する朝食文化だ。ガティ(ヤシの乳脂肪)の使用、カレーリーフの多用、ターメリックの黄色—これらはインド亜大陸南端からそのまま渡ってきた。
ここで一つ、混同されやすい語源の話に触れておきたい。「カレー」という言葉はタミル語の「カリ(Kari)」、つまり「スパイスの効いた汁物」を語源とする。そしてカレーリーフ(学名 Murraya koenigii)の名前は、この「カリ」から来ている—料理名が先で、植物名が後だ。「カレーリーフを使うからカレー」ではなく、「スパイス汁物(カリ)に使う葉だからカレーリーフ」という順序である。南インドとスリランカは、この語源的な核を共有する地域だ。北インドではカレーリーフをほとんど使わないことを考えると、「カリ」という言葉の本籍地は、ポーク海峡を挟んだこの南端の文化圏にあると言ってよい。
しかし三つの点で、スリランカは「独立した体系」になっている。
一つ目はモルディブフィッシュの存在だ。南インドのカレーには、これに相当する乾燥魚の出汁文化はない。魚のうま味をスパイスと組み合わせるという発想が、スリランカカレーに独特の底味を与えている。
二つ目はスパイスの焙煎度合いだ。シンハラ系カレーの「ダーク・ロースト」は、南インドよりも格段に深い。焙煎が深くなるほどスパイスの香りは複雑さを増し、同時に「スコーチ」と呼ばれる焦げ感が加わる。これはスリランカカレーを一口で識別できる風味の正体だ。
三つ目が辛さの水準だ。青唐辛子と赤唐辛子を両方大量に使うスリランカのカレーは、辛さを「調整する」ものではなく「前提とする」ものとして設計されている。日本でスリランカカレーを初めて食べた人が「予告なしに辛かった」と感じるのは、この辛さが料理の骨格として機能しているからだ。
デビルドチキン—辛さが「悪魔」と呼ばれるまで
スリランカカレーの辛さを象徴する料理として、デビルドチキンがある。
これはカレーではない。鶏肉を揚げてから、唐辛子・黒胡椒・カレーリーフ・玉ねぎ・トマトと共に炒める料理だ。コロンボの屋台やレストランで定番として出てくる、いわばスリランカのストリートフードの代表格でもある。名前の由来はシンプルで、「あまりに辛いから悪魔」というそのままの命名だ。
ここで一点、混同されやすい料理との区別をしておきたい。マレーシアのマラッカには「カリ・デバル(デビルズカレー)」という料理がある。こちらはポルトガル植民地時代の末裔であるユーラシア系クリスタンが、クリスマスの翌日に残り物の肉で作る酢入りカレーだ。クリスタン語で「デバル」は「残り物」を意味し、「デバル」と「デビル」の音の近さから英語でデビルズカレーと呼ばれるようになった。
スリランカのデビルドチキンとマラッカのカリ・デバル—名前は似ているが、出自も調理法も素材もまったく異なる。共通するのは「辛い」という事実と、「デビル」という名がついていることだけだ。
スリランカカレーの辛さが「悪魔」と呼ばれるのは、故意の誇張でも比喩でもない。あの辛さはそれほど本物だということだ。
結び—たどり着けなかった一皿の話
スリランカに一泊したのに、本物のカレーは食べられなかった、と最初に書いた。
それでも、後に日本で食べたあの一皿—ライス&カリーの複数のカレーが皿の上に並ぶ光景と、予告なしに来た辛さ—は、十分な問いを立てさせてくれた。なぜあの辛さなのか。なぜあの出汁の深みなのか。なぜインドとは違うのか。
答えは大地の上にあった。25kmの海峡、インド洋の交易史、モルディブという乾燥魚の島、シンハラとタミルの縦断線。あの夜、空港近くのホテルから一歩も街に出られなかったとき、わずか数キロ先には、この記事で書いてきた体系のすべてが広がっていたはずだ。
いつかコロンボの食堂でライス&カリーを食べるとき、あの辛さの正体がわかっているだろう。あの夜の借りを返しに行くつもりで、もう一度あの島へ降り立ちたい。それだけで、旅は少し豊かになる。
スリランカが属するスパイス文化の全体像については「世界のカレーを地政学で読む」で論じている。インドから東へ向かうスパイスの変容については「カレーの果て—インドから雲南まで、スパイスが消えていく4,000km」を参照してほしい。