シングリッシュ(マングリッシュ)とは何か—福建語・マレー語・タミル語が交差する英語

朝の光が差し込む古いショップハウスのコピティアムと、大理石のテーブルに並ぶコーヒーのグラス

1990年代の初め、筆者はワーキングホリデーでニュージーランドにいた。そこで実質的な「英語の先生」と言える存在だったのが、一人のインド系マレーシア人だった。しばらくすると、同じくワーホリで来ていた日本人から「何か英語、マレーシア訛りですね」と言われるようになった。自分ではそのつもりはまったくなかった。だが今振り返ってみると、あのとき話していた英語は、間違ってもクイーンズイングリッシュではなかった。

その「マレーシア訛り」の正体が、本記事で取り上げるマングリッシュ(Manglish)であり、海峡の向こう側のシンガポールで話されるシングリッシュ(Singlish)である。どちらも、イギリスが持ち込んだ英語に、港町に集まった人々の言葉が溶け込んでできた英語だ。

本記事では、料理を一皿ずつ味わうように代表的な言い回しを並べ、それがどこから来たのかを地理と歴史からたどっていく。旅先のホーカーセンターやコピティアムで耳にする、あの不思議な英語の「レシピ」を読み解いてみたい。

シングリッシュとマングリッシュ—同じ鍋から生まれた二つの英語

シングリッシュはシンガポールの、マングリッシュはマレーシアの口語英語を指す。どちらも公用語ではなく、学校で教えられることもない。それでも家庭や職場、屋台では毎日のように使われている生活の言葉だ。

二つの根は同じである。イギリス支配下のマラヤでは、シンガポールとマレー半島は一つの言語圏だった。それが1963年のマレーシア結成と、1965年のシンガポール分離を経て、別々の国の英語になっていった。いまも互いの話し手はほとんど苦労せずに通じ合う。ただ、味付けには違いがある。

シンガポールは住民の7割以上が華人で、福建語や潮州語由来の語彙が強く出る。マレーシアは2020年の国勢調査で国民の約7割がブミプトラ(マレー系と先住民)、2割強が華人、7%ほどがインド系である。そこにマレー語を唯一の国語とする言語政策が重なり、マングリッシュにはマレー語がより濃く混ざる。同じスープでも、シンガポールでは醤油が、マレーシアではサンバルが勝つようなものだ。

もう一つ押さえておきたいのは、話し手が常にシングリッシュやマングリッシュだけを話しているわけではないことだ。多くの人は、会議や公的な場では標準的な英語を話し、友人や家族とは口語英語に切り替える。一つの英語のなかに、よそ行きと普段着の両方があると考えると分かりやすい。

成り立ち—海峡植民地という鍋

レシピの出発点は、19世紀の海峡植民地だ。イギリスは1819年にシンガポールを拠点とし、1826年にはペナン、マラッカと合わせて海峡植民地をまとめた。いずれもマラッカ海峡に面した港町である。詳しい経緯は何も持たない都市国家シンガポール—マラッカ海峡の出口が形づくった二百年の地政学で詳しく書いた。

ここに各地から人が集まった。中国南部からは福建、潮州、広東、客家、海南の人々が、南インドからはタミル人がやってきた。元から住んでいたマレー人もいる。出身も言葉もばらばらな人々が市場で使った共通語は、バザール・マレー語(市場のマレー語)と呼ばれる簡略化されたマレー語だった。海峡生まれの華人であるプラナカンは、マレー語と福建語が混ざったババ・マレー語を話した。

その上に重なったのが英語である。1830年代から英語で教える学校が開かれ、英語は行政と商いの言葉になった。1921年には、シンガポールで英語を話す人の多くが華人になっていたとされる。単語は英語でも、文の組み立てや語尾のニュアンスは、それぞれの母語から持ち込まれた。料理で言えば、イギリス仕込みの出汁に、中国南部とマレーと南インドの香辛料が入ったようなものだ。

独立後、二つの国は英語の扱いで正反対の道を選んだ。

シンガポールは英語を民族のあいだの共通語とし、各民族の母語を第二言語とする二言語政策を採った。英語で教わる生徒は1955年に華語で教わる生徒を上回っており、1980年代にはほぼすべての学校が英語で教えるようになる。英語が家庭に入り込むほど、その「普段着」であるシングリッシュも広がっていった。

マレーシアは逆だ。マレー語を国語とし、1970年から英語で教える学校を小学一年生から順にマレー語で教える学校へ移していった。1980年代前半には、大学まで含めた公立の教育がマレー語に切り替わる。その後、2003年から理科と数学を英語で教える政策(PPSMI)が始まり、2012年から段階的に元に戻された。英語は、必要だが国の中心には置かれない言葉という位置に落ち着いた。この二つの道がどう分かれたかは、二つに割れた国マレーシア—マラッカ海峡と南シナ海が形づくった六百年の地政学で詳しく扱っている。

英語が民族をつなぐ共通語になったシンガポールと、マレー語のそばに英語が残ったマレーシア。同じ鍋から取り分けたスープは、半世紀をかけて少しずつ別の味になっていった。

代表的な言い回し—まず味わいたい七皿

ここからは、旅先で耳にする機会が多い言い回しを、料理の「代表品」のように並べていく。意味は文脈で大きく変わるため、ここではおおよその味わいを紹介する。

lah(ラー)—すべてを丸くする語尾

シングリッシュとマングリッシュの代名詞と言える語尾だ。「OK lah」で「いいよ、大丈夫」、「Don’t like that lah」で「そんなことしないでよ」。口調を和らげることもあれば、強めることもある。日本語の「よ」や「ってば」に近い働きだ。起源は福建語ともマレー語とも言われ、もとは一つではない。オックスフォード英語辞典(OED)には2000年に収録されている。

lor・leh・meh—広東語から来た語尾たち

lahの仲間には、主に広東語から入ったとされる語尾が並ぶ。lorは「仕方ないよね」「そういうもんだよ」という諦めや当然さを表し、「Like that lor」で「まあ、そういうことだ」。lehは頼みや軽い反論を柔らかくする語尾で、「Help me leh」は「手伝ってよ」。mehは「本当に?」と疑うときの語尾で、「Really meh?」のように使う。英語の文末に、中国南部の言葉の「気持ち」が乗っているわけだ。

can/can or not—一語で済む返事

「Can or not?」は「できる?できない?」、返事は「Can!」か「Cannot.」で終わる。「Can can.」と重ねれば「大丈夫、大丈夫」になる。主語も動詞も省き、肯定か否定かだけを伝える形は、中国語の「可以不可以?」やマレー語の「boleh tak?」と同じ組み立てだ。語を重ねて意味を調えるのも、マレー語や中国語によくある習慣である。

kiasu(キアスー)—負けるのが怖い

福建語・潮州語の「驚輸」から来た言葉で、「損をするの、出遅れるのが怖い」という気質を指す。セールに開店前から並ぶ、無料のものはとりあえずもらう、といった振る舞いがその典型とされる。ホーカーセンターで席にティッシュの包みを置いて席取りをする「chope」も、よく一緒に語られる習慣だ。シンガポール人が自嘲を込めて使う言葉でもあり、lahと同じく2000年にOEDに収録されている。

makan・alamak・lepak—マレー語からの借用

makanはマレー語で「食べる」。「Makan already?」は「ご飯もう食べた?」という挨拶にもなる。中国語圏の「吃飯了嗎?」と同じ発想で、二つの文化が一つの挨拶に重なっている。alamakは「あらまあ」「しまった」にあたる驚きの声で、2025年3月にOEDに加わった。lepakは「ぶらぶらする」「たむろする」で、2016年に収録されている。マングリッシュでは、こうしたマレー語の割合がさらに高くなる。

shiok(シオッ)—うまい、最高

美味しいものを食べたとき、暑い日に冷たい飲み物を飲んだときの「ああ、最高」がこの一語だ。起源はマレー語ともパンジャーブ語とも言われる。料理系の記事を書く身としては、いちばん覚えておきたい言葉かもしれない。lepakと同じく2016年にOEDに収録された。

aiyoh・gostan・outstation—マングリッシュの味

aiyoh(アイヨー)は「ああ、もう」という嘆きの声で、華人にもインド系にも使われる。同じ響きの嘆声が中国南部にもタミル語にもあるためだ。gostanは「車をバックさせる」で、航海用語の「go astern」から来たとされる。outstationは「地方に出かけている」で、植民地時代の役人言葉の名残りだ。港と船と役所、どれも海峡植民地らしい出自である。

発音とリズム—「訛り」の正体

単語より先に耳に残るのは、音とリズムだ。

まずTHの音が変わる。語頭のthはtやdに近くなり、「three」は「tree」に、「that」は「dat」に聞こえる。語尾のthは逆にfに寄り、「north」が「norf」のようになる。

次に、語尾の子音が弱くなる。子音が連なると省かれ、速く話すとtやkは喉で止めるだけになる。「shiok」が「シオッ」のように聞こえるのもそのためだ。福建語や広東語にも、音を詰まらせて止める音節がある。

そして、いちばん大きいのがリズムだ。イギリス英語やアメリカ英語は、強く読むところと弱く流すところの差が大きい。一方、シングリッシュやマングリッシュは一音節ずつほぼ同じ長さで刻む。強弱の波よりも、スタッカートのような弾む響きになる。実は日本語も音の長さを揃えて話す言葉で、日本人にとってはこのリズムの方がむしろ身につきやすい。

インド系の話し手の英語には、もう一つ別の層が重なる。舌を上に捲り気味にして発音するtやd、波打つような抑揚、「isn’t it?」をどんな文にも付ける習慣など、南アジアの英語に共通する特徴がそこに加わる。マレーシアのインド系の多くは南インドにルーツを持ち、タミル語由来の「dey」(おい、お前)のような呼びかけも混ざる。

ニュージーランドで日本人に「マレーシア訛り」と言われた正体は、おそらくこのリズムだったのだろう。英語を耳から覚えるとき、単語より先に移るのは、教えてくれた人の音の刻み方である。

国家と街の綱引き—消そうとしても消えない英語

シンガポール政府は、長くシングリッシュを歓迎してこなかった。その前に、もう一つの言語運動がある。

1979年、リー・クアンユー首相は華語推進運動(Speak Mandarin Campaign)を始めた。福建語、潮州語、広東語などの「方言」をやめ、華人の共通語を標準中国語に一本化しようとしたのだ。テレビやラジオから方言の番組は消え、香港の広東語ドラマも華語に吹き替えられた。その結果、若い世代は方言を話せなくなっていった。ただ、kiasuやpaiseh(歹勢、恥ずかしい・ごめん)、jialat(食力、ひどい・大変だ)のような福建語は、英語の文のなかに残った。方言は、シングリッシュのなかに逃げ込んで生き延びたとも言える。

英語の側でも綱引きが続いた。1993年にはシングリッシュを使った広告が放送で禁じられた。1999年にはゴー・チョクトン首相が、シングリッシュを話す人気コメディ『フア・チューカン』の主人公を名指しで取り上げ、その影響を懸念した。そして2000年4月、「正しい英語を話そう運動」(Speak Good English Movement)が始まる。ゴー首相はシングリッシュを「壊れた、文法的でない英語」と呼んだ。政府の考えは一貫している。資源を持たない都市国家にとって、世界で通じる英語は食い扉持ちそのものだ。

それでもシングリッシュは消えなかった。むしろ外から先に認められた。OEDは2000年にlahやkiasuを収録し、2016年3月にはshiok、lepak、ang moh(紅毛、西洋人)、hawker centreなど19項目を加えた。同年9月にはaiyohやkopitiam、2025年3月にはtapauやalamak、kaya toastが続いている。政府の側も少しずつ姿勢を和らげた。2019年に運動の委員長に就いた人物は、正しい英語の大切さを訴えつつも、シングリッシュを多くのシンガポール人にとっての「文化的な目印」だと語っている。

人々の意識も変わってきた。2026年5月に公表された政策研究所(IPS)の調査(2024年実施、4,000人対象)では、半数を超える人が「シングリッシュはシンガポール人としての意識を与えてくれる」と答えた。職場でよくシングリッシュを使う人は41.5%で、2018年の34.7%から増えている。一方で、政治家の演説のような改まった場でのシングリッシュには、いまも否定的な声が多い。使う場所と使わない場所を分けるという答えに、街の方が先にたどり着いていたとも言える。

マレーシアでは、議論の中心はマングリッシュよりも「マレー語と英語のどちらで教えるか」だった。学校で教えるのは標準的な英語で、マングリッシュは教室の外、屋台や職場、友人との会話のなかで生きている。公の場では主役になれない代わりに、日常ではだれにも止められない言葉である。

旅で出会うシングリッシュ—コピティアムで注文してみる

シングリッシュとマングリッシュがいちばん生き生きと聞こえるのは、食べ物の前だ。コピティアム(kopitiam)は、マレー語の「kopi(コーヒー)」と福建語の「店(tiam)」をつなげた言葉で、名前そのものがこの英語の成り立ちを物語っている。

コーヒーの頼み方には、組み合わせの「文法」がある。紅茶ならkopiをtehに変えればよい。

注文中身言葉の出自
kopi練乳(加糖)入りのコーヒーマレー語
kopi Oミルクなし、砂糖入りOは福建語の「烏(黒)」
kopi C無糖のエバミルクと砂糖入りCの由来は海南語の「鮮」、缶ミルクの銘柄名など諸説ある
kosong砂糖なしマレー語で「ゼロ」
siew dai砂糖少なめ福建語・広東語の「少底」
ga dai砂糖多め「加底」
pengアイス福建語の「冰」

「kopi O kosong peng」と頼めば、「砂糖もミルクもなしのアイスコーヒー」が出てくる。マレー語と福建語が、英語の語順も気にせず一つの注文に並んでいる。マレーシアでは「peng」の代わりにマレー語の「ais」を使うことも多い。

持ち帰りは、シンガポールでもマレーシアでも「tapau」だ。広東語の「打包」に由来し、華語風に「da bao」とも言う。ホーカーセンターで席にティッシュが置かれていたら、それは「chope」済みの席である。忘れ物だと思って座ってはいけない。

マレーシアなら、インド系ムスリムが営む「ママック(mamak)」の屋台も外せない。テタリ(teh tarik、高いところから注いで泡立てたミルクティー)とロティチャナイを前に、マレー語とタミル語と英語が入り乱れる。teh tarikも、2016年にOEDに収録された言葉の一つだ。現地の料理については[内部リンク:シンガポール料理記事]や[内部リンク:マレーシア料理記事]も合わせて読んでほしい。

クイーンズイングリッシュではないけれど—港町が育てた英語

シングリッシュもマングリッシュも、「崩れた英語」と一言で片付けることはできる。だがその中身を一つずつ取り出してみると、海峡植民地に集まった人々の歴史がそのまま詰まっている。福建語のkiasu、広東語のlor、マレー語のmakan、タミル語のdey、航海用語のgostan。大英帝国の英語がアジアの港町で暮らしの言葉になったとき、こういう形になったのだ。英語の「正統」からは外れていても、立派な親戚である。

ニュージーランドで「マレーシア訛り」と言われた英語も、だとすればその親戚の端くれだったことになる。クイーンズイングリッシュにはほど遠いが、南半球の片隅で日本人がマラッカ海峡の英語を話していたというのも、この言葉が人と一緒に海を渡ってきたことの小さな証拠だろう。

シンガポールやマレーシアを訪れたら、コピティアムで一度、「Kopi O kosong, can?」と頼んでみてほしい。「Can!」と返ってきたら、それだけでこの英語の入口に立ったことになる。


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