ミャンマー料理(ビルマ料理)とは何か—インド・中国・タイが交差する食卓

バゴーの路上で野菜を売るミャンマー人女性、1990年代

1997年1月、私はヤンゴンにいた。当時のミャンマーはまだFEC(外国人用兌換券)が流通していた軍政下の国で、入国した外国人は強制的に一定額を両替させられた。街には監視の気配があり、観光客が自由に動ける場所も限られていた。

その緊張した雰囲気の中で食べた料理の記憶は、正直なところ断片的だ。モヒンガーの麺の食感、ラペイエの甘さ、そして何より料理全体に漂う油の重さ—それがビルマ料理との最初の出会いだった。

本稿ではそのミャンマー料理(ビルマ料理)の全体像を、自身の訪問経験と料理文化の背景を合わせて読み解いていく。なお、本稿では歴史的文脈では「ビルマ料理」を、現代の料理や一般的な文脈では「ミャンマー料理」を用いる。国名と同様、この呼称もまた一筋縄でいかない背景を持っているが、それ自体がこの国の料理を理解するうえで興味深い入り口になる。

ミャンマー料理とは何か—アジアの三叉路

ミャンマーは東南アジアの中でも特異な地政学的位置を占めている。西にインド、北東に中国、南東にタイとラオスと国境を接し、南はベンガル湾とアンダマン海に面している。この地理的条件が、ミャンマー料理の複雑な成り立ちを生んだ。

インドの影響はカレー文化に色濃く表れている。インド系移民(主にベンガル系やタミル系)が持ち込んだスパイス使いは、ミャンマーの煮込み料理の土台を形成した。ただしミャンマーのカレーはインドのそれとは異なり、スパイスよりも油と玉ねぎのベースが前面に出る傾向がある。

中国の影響は麺文化や炒め料理に見られる。シャン州を中心とした北部地域は特に中国食文化の影響が強く、豆腐(ビルマ豆腐はひよこ豆から作られる独自のもの)や豆料理が発達している。

タイ・東南アジアの影響は魚醤や発酵食品に表れる。ンガピ(魚や小エビを発酵させたペースト)はタイのカピに相当し、ミャンマー料理の旨みの基盤となっている。

この三方向の影響を受けながらも、ミャンマー料理は独自の食文化を育んできた。その最大の個性が、後述するラペトゥと納豆文化である。

国民食モヒンガー

ミャンマーの朝を語るとき、モヒンガー(မုန့်ဟင်းခါး)を外すことはできない。

ナマズをベースに炊いたスープに、米粉から作られた細い麺を入れ、バナナの茎・ゆで卵・揚げた豆の粉・香草を添えて食べる—これがミャンマーの国民食だ。レモングラスやターメリック、生姜が加わったスープは独特の香りを持ち、見た目はシンプルだが重層的な味の構造を持っている。

早朝の屋台に大鍋が並び、近所の人々が椀を手に集まってくる。その光景はバンコクのクイティウ屋台とも、プノンペンのバーイ・サッチ屋台とも少し違う。どこかゆったりした時間が流れていた、と1997年の記憶はいう。

モヒンガーは地域によってスープの風味や具材が異なり、ヤンゴンとマンダレーでも微妙に違う。ミャンマー料理の中で最も間口が広く、旅行者が最初に手を伸ばしやすい一皿でもある。

ラペトゥ—発酵茶葉という唯一無二の存在

ミャンマー料理の中で、世界的に見ても唯一無二と言える存在がラペトゥ(လက်ဖက်သုပ်)だ。

「食べる茶葉」と言えば伝わるだろうか。発酵させた茶葉に、揚げたニンニク・干しエビ・ごま・ピーナッツ・唐辛子などを混ぜ合わせたサラダで、ミャンマー独自の食べ方である。茶葉を飲み物ではなく食材として発酵・調理するという発想は、東南アジアの他の国には見られない。

発酵茶葉そのものは若干の苦みと酸味を持ち、そこにカリカリとした食感の揚げた具材が加わることで、箸が止まらなくなる。ビールとの相性も非常によく、日本国内のミャンマー料理店でも定番メニューとなっている。

私が最初にラペトゥを食べたのは日本のミャンマー料理屋だった。正直、現地でラペトゥを意識して食べた記憶が薄い。1997年のヤンゴンでは、目の前の食事をただ食べることで精一杯だった部分もある。ただ「これがミャンマーらしさの核心か」という感触は、日本で食べながらも十分に得られた。

脂と油の文化—バガンで腹を壊した話

ミャンマー料理を語るとき、油の多さは避けて通れないテーマだ。

カレーも炒め物も、表面に赤い油が浮くほどたっぷりの油を使う。これはミャンマー料理の特徴であると同時に、旅行者にとっての関門でもある。油は保存性を高め、スパイスの風味を閉じ込める役割を果たすが、慣れない胃腸には相当な負担になる。

1997年のバガン。仏塔が地平線まで続く平原でサイクリングをしながら、屋台や食堂で食事を続けていた。そして2日間ほど、トイレから離れられなくなった。衛生状態も今とは比べ物にならなかった時代だ。油か衛生か、あるいはその両方か—原因は今でもわからないが、バガンの食事は強烈な形で体に刻まれている。

2015年に再訪したとき、以前と比べると町は清潔になっていたように感じた。ミャンマーが観光開放期を迎え、外国人旅行者向けのインフラが整備された結果だった。油の多さは変わっていなかったが、それはもはやリスクではなく、文化の一部として楽しめるものになっていた。

発酵文化と納豆—日本人が驚く接点

ミャンマーには納豆がある。

「ぺーポ(ပဲဖောင်း)」と呼ばれる発酵大豆は、見た目も香りも日本の納豆に近い。乾燥させたものをそのままかじったり、炒め物に加えたりする。糸を引くタイプと乾燥タイプがあり、後者は薄いせんべい状に成形して天日干ししたものが市場でよく見られる。

日本の納豆がどこから来たのか—諸説あるが、東南アジアの発酵大豆文化との関連を指摘する研究者もいる。タイ北部のトゥアナオ、ミャンマーのぺーポ、ラオスやシャン州の発酵大豆—この文化圏が日本の納豆文化と何らかの形でつながっている可能性は、今も研究が続いている。

日本人にとって、ミャンマーの発酵文化は最も馴染みやすいアジアの食文化のひとつかもしれない。

インレー湖と4Sisters

インレー湖(ဣင်းလေးကန်)はミャンマー中部、海抜約900メートルの高地に広がる湖だ。インダー族が湖の上に家を建て、独特の片足漕ぎ漁法で知られる、ミャンマーを代表する観光地である。

1997年の訪問で、インレー湖のほとりにある「4 Sisters(フォー・シスターズ)」に立ち寄った。4人姉妹が営むその食堂は、当時すでに旅人の間で評判だった。何を食べたか正確には覚えていないが、湖で取れた魚を使った料理と、インレー湖らしい穏やかな空間だった記憶がある。

インレー湖の料理はヤンゴンやマンダレーとも異なる。標高があるため気候が涼しく、トマトや野菜の栽培が盛んで、料理も軽やかな傾向がある。湖の水上農園で育てたトマトのサラダは、この地域ならではの一品だ。

ラペイエとコォン—食卓の外の食文化

ラペイエ(လက်ဖက်ရည်)はミャンマーのミルクティーだ。濃く煎じた紅茶に練乳と砂糖をたっぷり加えたもので、インド系移民が持ち込んだチャイ文化がミャンマー化したものといえる。街のどこでも飲めて、値段も安い。ラペイエを出す茶屋(ラペイエドゥイン)はミャンマー人の社交場であり、男たちが朝から新聞を読みながらゆっくり過ごす場所でもある。

コォン(ကွမ်းယာ)はキンマの葉にビンロウの実、石灰などを包んだ嗜好品で、噛むことで口の中が赤く染まる。東南アジア・南アジア全域で広く嗜まれてきた習慣だが、ミャンマーでは特に普及率が高い。1997年のヤンゴンで私も試した。独特の刺激と軽い酩酊感があり、慣れない人間には強烈な体験だった。路上のコォン売りのワゴンはヤンゴンの日常風景のひとつで、今でも続いている。

日本とビルマをつなぐ記憶

マンダレーの市場で

1997年、マンダレーの市場を歩いていると、初老の男に声をかけられた。「貴様は日本人であるか」—軍隊式の二人称と口調だった。男は自分が何某隊に所属していたこと、ある少尉を知っているかと聞いてきた。軍帽に似た帽子を被り、背筋をまっすぐにしていた。

太平洋戦争のビルマ戦線(1942〜45年)の生き残りだったのだろうか。男は突然、軍歌を歌いだした。日本語で、はっきりと。1997年当時であれば、存命なら70代後半から80代。年齢的には十分ありえる。ビルマ戦線の一部の日本兵は戦後そのまま現地に残ったとも伝えられる。それとも全く別の何者かだったのか。今でも答えはわからない。

ポジフィルムにその男の写真が残っているはずだ。

益子のビルマ汁

栃木県益子町に、「ビルマ汁」という夏限定の郷土料理がある。

太平洋戦争でビルマに出征した呉服商の主人・飯塚潤一が、戦地で食べたスープの味が忘れられず、帰国後に当時の日本で手に入る材料で再現したのが始まりだという。赤く熟したトマト・ナス・インゲンといった夏野菜をぶつ切りにして和風出汁で煮込み、唐辛子とカレー粉で味付けしたもので、ビルマの原形では鯉やナマズを素揚げにして出汁にしていたところを、益子では豚肉で代用している。

潤一は亡くなるまで一切戦争のことを家族に語らなかった。それでもビルマ汁は毎年の夏に食卓に並び続け、やがて近所に、田町の自治会に、益子の町全体に広がっていった。2014年には「益子のビルマ汁」として商標登録され、夏季限定で町内の複数の飲食店で提供されている。

現地の料理とはかけ離れている。戦地の記憶と、当時の日本の食材と、一人の男の舌の記憶が合わさって生まれた、いわばミャンマー料理の「日本語訳」だ。それでも戦争という経路を経て、ビルマの食の記憶が栃木の夏に生き続けているという事実は、料理というものの不思議な力を感じさせる。

いつか夏に益子まで行って、一杯食べてみたいと思っている。

まとめ—ミャンマー料理を知るための入口として

ミャンマー料理は、東南アジアの中でまだ最も知られていない料理文化のひとつかもしれない。

観光地としてのミャンマーは2021年のクーデター以降、再び外国人旅行者が激減している。国内の状況は依然として厳しく、以前のように気軽に訪れられる状態ではない。そのため現地で食べる機会は、しばらく限られたままだろう。

ただし日本国内にもミャンマー料理店は存在し、モヒンガー・ラペトゥ・チキンカレーといった料理は東京を中心に食べられる環境が整ってきた。まずは一皿から、この交差点の国の食文化に触れてみてほしい。

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