インドと東南アジアのあいだで—135民族の食の地図と、ヤンゴン30年の記憶

ヤンゴンの食堂でチキンカレーを頼むと、皿の縁に赤い油が浮いている。

脂っこい、という印象が最初に来る。でも食べると旨い。この赤い油は
ミスではなく、「スィーピャン」と呼ばれる完成のサインだ。調理技法
としての詳細—インドのタルカ・バガールとの違い、ヒンの種類分類—は
スィーピャン完全解説」に譲る。

ここで書きたいのは別のことだ。この油が、地図の上でも料理の上でも
「あいだ」に位置するミャンマーという国を、どう映し出しているか、
という話だ。


スィーピャン—油が分離するまで炒め続ける

ミャンマーのバマー(ビルマ)系カレーには「スィーピャン(si pyan)」と呼ばれる調理工程がある。「油が戻る」という意味だ。

玉ねぎ・生姜・ニンニク・ターメリック・唐辛子をピーナッツ油で長時間炒め続ける。炒めているうちに玉ねぎの水分が飛び、スパイスが油に溶け込み、やがて油が赤く分離して表面に浮き上がってくる。この「油の分離」が完成の合図だ。分離した油が皿の縁に浮いているとき、カレーは正しく仕上がっている。

この技法はインドのバガール(スパイスを油で炒める工程)の変形だ。インドから持ち込まれた調理の論理が、ピーナッツ油と魚醤(ンガピャーイェ)という東南アジアの食材と結びついた結果として生まれた。

同じ「油の分離」を完成の指標とする料理が、パキスタンのチャーシーカラヒにもある。しかし方向が逆だ。パキスタンのカライはスパイスを削ぎ落として肉と脂だけを凝縮する「引き算」の料理だ。ミャンマーのスィーピャンはインドのスパイス技法を東南アジアの食材と組み合わせた「融合」の料理だ。どちらも油の分離を目指しながら、辿り着いた場所が異なる。


インドと東南アジアの衝突点

ミャンマーはインドと東南アジアの「あいだ」にある。地図の上でも、料理の上でも。

インド料理の影響は明確だ。スパイスを油で炒めるという発想、ターメリックの使用、カレーという料理形式そのもの。これらはインドから持ち込まれた。

一方、東南アジアの影響も深く入り込んでいる。魚醤(ンガピャーイェ)が旨味の核を担い、生のレモングラスやガランガルが香りを加え、発酵エビペースト(ンガピ)が独特のコクを生む。これらはタイやカンボジアと共通する東南アジアの食の文法だ。

ミャンマーカレーはどちらにも完全には属さない。インドのスパイス体系で調理しながら、東南アジアの発酵食材で旨味を出す。「インド料理に似ているが、何かが違う」という感覚の正体はここにある。境界線上に生まれた料理だ。

1995年にヤンゴンで食べたチキンカレーが脂っこかったのは、このスィーピャンの結果だったのだと、今になって理解できる。あの赤い油は、二つの文化が出会った痕跡だった。


カレーの外側にある食文化

ミャンマーを語るとき、カレーだけでは足りない。

米麺と魚スープのモヒンガー、発酵茶葉のサラダ、ラペトゥ、濃い甘みの
ミルクティー、ラペイエ—これらはカレーとは別の軸で発展した、ミャンマー
固有の食文化だ。スパイスが主役のインド料理とも、生ハーブが主役のタイ
料理とも異なる、発酵と乾物と出汁の体系がここにある。

それぞれの料理については「ミャンマー料理(ビルマ料理)とは何か」で
詳しく取り上げている。


スィーピャンが教えること

ミャンマーカレーは「カレーの果て」への道の途中にある。

インドを出発してパキスタンで引き算が極まり、ミャンマーで東南アジアの食材と衝突し、タイで生ハーブに置き換わり、ベトナムで出汁に飲み込まれていく—そのグラデーションの中で、ミャンマーは最も複雑な位置を占める。どちらにも属さず、どちらの影響も受けながら、独自の料理文化を作り上げた。

スィーピャンの油が分離する瞬間に、その複雑さが凝縮されている。インドの技法で、東南アジアの油を使って、どちらでもない場所に辿り着く。

Re:199xの撮影でヤンゴンに降り立つとき、まず食堂に行くつもりだ。あの赤い油を見たとき、1995年の記憶と2015年の記憶と、今が重なる。


スィーピャンの調理技法とインド料理との詳細な比較は 「スィーピャン完全解説」で論じている。 ミャンマー料理の全体像は「ミャンマー料理(ビルマ料理)とは何か」を参照。 ミャンマーが属するカレー文化の東方グラデーションは 「カレーの果て—ミャンマーからベトナム、雲南へ」で、 世界のスパイス料理の全体像は「世界のカレーを地政学で読む」で論じている。

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