
ヤンゴンの食堂でチキンカレーを頼むと、皿の縁に赤い油が浮いている。
最初に気づくのはその色だ。インドのカレーとも、タイのゲーンとも違う。濃い赤みがかった油が料理の表面に分離して浮き、鶏肉とトマトと玉ねぎがその中に沈んでいる。脂っこい、という印象が最初に来る。でも食べると旨い。
この「脂っこさ」はミャンマーカレーの完成を示すサインだ。
スィーピャン—油が分離するまで炒め続ける
ミャンマーのバマー(ビルマ)系カレーには「スィーピャン(si pyan)」と呼ばれる調理工程がある。「油が戻る」という意味だ。
玉ねぎ・生姜・ニンニク・ターメリック・唐辛子をピーナッツ油で長時間炒め続ける。炒めているうちに玉ねぎの水分が飛び、スパイスが油に溶け込み、やがて油が赤く分離して表面に浮き上がってくる。この「油の分離」が完成の合図だ。分離した油が皿の縁に浮いているとき、カレーは正しく仕上がっている。
この技法はインドのバガール(スパイスを油で炒める工程)の変形だ。インドから持ち込まれた調理の論理が、ピーナッツ油と魚醤(ンガピャーイェ)という東南アジアの食材と結びついた結果として生まれた。
同じ「油の分離」を完成の指標とする料理が、パキスタンのチャーシーカラヒにもある。しかし方向が逆だ。パキスタンのカライはスパイスを削ぎ落として肉と脂だけを凝縮する「引き算」の料理だ。ミャンマーのスィーピャンはインドのスパイス技法を東南アジアの食材と組み合わせた「融合」の料理だ。どちらも油の分離を目指しながら、辿り着いた場所が異なる。
インドと東南アジアの衝突点
ミャンマーはインドと東南アジアの「あいだ」にある。地図の上でも、料理の上でも。
インド料理の影響は明確だ。スパイスを油で炒めるという発想、ターメリックの使用、カレーという料理形式そのもの。これらはインドから持ち込まれた。
一方、東南アジアの影響も深く入り込んでいる。魚醤(ンガピャーイェ)が旨味の核を担い、生のレモングラスやガランガルが香りを加え、発酵エビペースト(ンガピ)が独特のコクを生む。これらはタイやカンボジアと共通する東南アジアの食の文法だ。
ミャンマーカレーはどちらにも完全には属さない。インドのスパイス体系で調理しながら、東南アジアの発酵食材で旨味を出す。「インド料理に似ているが、何かが違う」という感覚の正体はここにある。境界線上に生まれた料理だ。
1995年にヤンゴンで食べたチキンカレーが脂っこかったのは、このスィーピャンの結果だったのだと、今になって理解できる。あの赤い油は、二つの文化が出会った痕跡だった。
モヒンガーとラペトゥ—カレーの外側にある食文化
ミャンマーを語るとき、カレーだけでは足りない。
モヒンガー(mohinga)はミャンマーの国民的朝食だ。米麺を魚のスープに浸して食べる。スープは魚とレモングラスと生姜と魚醤で作られ、バナナの茎のスライスとゆで卵が添えられる。スパイスはほとんど使わない。カレーとは全く異なる体系の料理で、ミャンマー人がカレーより日常的に食べているのがこれだ。
ラペトゥ(lahpet thoke)はさらに独自だ。発酵茶葉のサラダで、世界でもミャンマーにしか存在しない食文化だ。発酵させた茶葉に、揚げにんにく・ごま・ピーナッツ・乾燥エビ・唐辛子を混ぜて食べる。苦みと旨味と酸味と辛みが同時に来る複雑な味で、ミャンマー人にとってはお茶うけであり、最高のもてなしでもある。
ラペイエ(laphet yay)はミャンマー式ミルクティーだ。インド・イギリス統治時代の影響を受けた甘く濃いチャイで、ミャンマーの茶店文化の核をなしている。茶店(ラペトゥドゥイン)はミャンマーの社交の場で、朝から深夜まで人々が集まる。
モヒンガーの魚出汁、ラペトゥの発酵茶葉、ラペイエの濃い甘みと煮出し——これらはカレーとは別の軸で発展したミャンマー固有の食文化だ。スパイスが主役のインド料理とも、生ハーブが主役のタイ料理とも異なる、発酵と乾物と出汁の体系がここにある。
ミャンマー内部の差異
ミャンマーはバマー族だけの国ではない。135の民族が暮らし、それぞれに異なる食文化を持つ。
シャン州に入ると、料理の雰囲気が一変する。シャン族はタイ・ラオスと文化的に連続していて、料理は油が少なく、トマトの酸味が前に出る。発酵大豆(トゥア・ナオ)が旨味の核で、バマー系の重さとは対照的に軽やかだ。シャン料理はすでにタイ北部カオソーイ文化圏に片足を突っ込んでいる。
インドとの国境に近いラカイン州では、辛みが最大になる。発酵エビペースト(ンガピ)の強烈な旨味が主軸で、スパイスより発酵が料理を支配する。モンティ(米麺と魚スープ)はこの地域の代表料理で、モヒンガーよりさらに発酵色が強い。
北部のカチン州・カヤー州の山岳地帯では、スパイスはほぼ消える。発酵竹の子、山菜、燻製肉が旨味の主役だ。カレー文化の射程の外にあり、雲南省との山岳文化的連続性が強い。
バマー低地→シャン高地→ラカイン沿岸→北部山岳と移動するにつれて、カレーの「濃さ」が変わり、時にカレーが消える。ミャンマーはひとつの国の中に、カレーの存在グラデーションを内包している。
2015年、20年後のヤンゴン
1995年に初めてヤンゴンに降り立ってから、2015年に再び訪れるまで20年が経っていた。
街は変わっていた。外資系のホテルが増え、舗装道路が整備され、スマートフォンを持つ人々が増えていた。でも食堂の風景は、驚くほど変わっていなかった。カウンターに並ぶカレーの鍋、テーブルに置かれた小皿の数々、ラペイエを運ぶ若者。スィーピャンで仕上げた赤い油は、1995年と同じように皿の縁に浮いていた。
食は街の変化より遅く動く。あるいは、食だけが変わらずにいることで、街の記憶が保たれているのかもしれない。
スィーピャンが教えること
ミャンマーカレーは「カレーの果て」への道の途中にある。
インドを出発してパキスタンで引き算が極まり、ミャンマーで東南アジアの食材と衝突し、タイで生ハーブに置き換わり、ベトナムで出汁に飲み込まれていく—そのグラデーションの中で、ミャンマーは最も複雑な位置を占める。どちらにも属さず、どちらの影響も受けながら、独自の料理文化を作り上げた。
スィーピャンの油が分離する瞬間に、その複雑さが凝縮されている。インドの技法で、東南アジアの油を使って、どちらでもない場所に辿り着く。
Re:199xの撮影でヤンゴンに降り立つとき、まず食堂に行くつもりだ。あの赤い油を見たとき、1995年の記憶と2015年の記憶と、今が重なる。
ミャンマーが属するカレー文化の東方グラデーションは「カレーの果て—ミャンマーからベトナム、雲南へ」で論じている。世界のスパイス料理の全体像は「世界のカレーを地政学で読む」を参照。